HAPPY AURA(ハッピーオーラ)代表![イメージコンサルタント,上品美人メイク,平田美香,プロフィール,メイク講師,愛される外見とは](https://mika-hirata.com/userPic/6.jpg)
上品美人コンサルタント
平田 美香(ひらた みか)
・イメージコンサルタント
・顔タイプアドバイザー
・骨格アドバイザー
・パーソナルカラーアナリスト
・顔タイプメイクアドバイザー
・メイク講師
・上品美人メイク講座主催
・立教大学キャリアセミナー講師として登壇
外見のイメージづくりを軸に、女性が自分らしく美しく輝き、 望む人生を掴むお手伝いをしています。
具体的には、
自宅サロンにて、顔タイプ診断、骨格診断、パーソナルカラー診断を用いたファッションアドバイスと、魅力を最大限に引き出す上品美人メイクの提案。都内セミナールーム及びオンライン、大学でのメイク講座やメイクスクール開催
などを通して、女性が自分本来の魅力をナチュラルに、最大限に輝かせる方法をお伝えしています。
![顔タイプ診断とは?イメージコンサルタント平田美香](https://mika-hirata.com/userPic/131.jpg)
ABOUT ME
今でこそ、メイク、ファッションに関わるいわゆる『華やかな』仕事をしていますが、幼少期の私は、今からは想像がつかないぐらい内気で、地味で、自信がない子供でした。 背が低く顔が地味、おまけに引っ込み思案で大人しかった私。滝川クリステルのようなハーフ美人顔の母と、お笑い芸人のような父の間に生まれました。
![イメージコンサルタント,上品美人メイク,平田美香,プロフィール,メイク講師,愛される外見とは](https://mika-hirata.com/userPic/16.jpg)
母ではなく父にそっくりと言われ続けてきたことが、外見コンプレックスに拍車をかけていました。 もっと目が大きければ、二重だったら、顔が細かったら…無い物ねだりばかりして人を羨ましがってばかりいました。
明るく社交的な3歳下の弟と比べ、内弁慶。自分の気持ちを口に出せず、損していたことも多々ありました。
クラスの人気者の男の子に『いたの?存在感ない』と言われ…
気の強い女の子に『声が小さくて聞こえない!』と言われるほどの、目立たないおとなしい子。
勉強は人並み以上にできたのですが、とにかくスポーツが苦手。
走ればいつもビリ。投げても飛ばず、泳げば溺れるという…笑
活発で運動神経のいい子が人気者の昭和の小学校時代、私はコンプレックスのかたまりのような子でした。
時代が昭和から平成に変わる少し前、高校に入学。新しい生活がスタートしました。数少ない同じ中学出身の友人たちにテニス部に入らないかと誘われました。 何しろ運動オンチを絵に描いたような私でしたから、迷いはありました。ついていけないんじゃないか、下手すぎて恥をかくんじゃないか、向いていないと馬鹿にされるんじゃないか、親に反対されるんじゃないか… でもそんな不安よりも、「やってみたい、新しい世界に足を踏み入れてみたい」そんな好奇心と期待の方が勝っていました。
新しい自分に生まれ変わるチャンスでした。
それまでずっと自分のことを
・大人しくて恥ずかしがり屋
・勉強はそこそこできるけど運動は苦手
・外遊びが嫌いなインドア派
そう決めつけていました。でも不思議と、「できるんじゃないか?」という根拠のない自信が湧いてきているのを感じました。今までしたことのない選択に、両親はさぞ驚いたことと思います。 初めは、やっぱり運動オンチな自分のままでした。毎日のトレーニングだった、二駅先までを往復するランニングではいつも途中で苦しくなり、歩いてしまいます。結果毎回ビリ。筋トレでは逆立ちができず、ラケットを握ってもしばらくは空振りばかりでした。 やっぱり運動に関しては、かっこ悪い自分のままでした。それでも、笑ったり馬鹿にしたりせず、励ましてくれる友人ができました。できるようになりたい、かっこいい自分になりたいという気持ちが私を諦めさせませんでした。 ランニングも逆立ちも、ある日を境にできるようになりました。ボールがラケットに当たるようになりました。 誰かにとっては当たり前にできることができるようになった時、私は小さな、でも確かな自信を手に入れました。それまでの自分では考えられないほど、毎日はキラキラと明るいものになっていきました。
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今までの経験からは考えられないような、初めての挑戦。人生の中のほんの小さな決断は、自分の選択に責任を持つことを教えてくれたのかもしれません。 苦楽を共にした高校時代の友人たちとは、本当にたくさんのことを話しました。お互いに、ありのままの自分を受け入れていました。
口数はそれほど多くないけど、ふと放つ一言が鋭いとか、童顔でほんわかした雰囲気なのに、気に入らないことがあると分かりやすく不機嫌になるとか、長所とも短所ともつかない私らしさ、そのままの姿を認めてくれる友人たち。 自己嫌悪に陥ることもたくさんありましたが、このままの私でいいんだ、と自由な心でいることができました。 十人十色の個性をもつ友人たちとの交流の中で、それまで人見知りで人が苦手だった私は、いつの日か人の心に興味を持つようになっていました。
その後、大学では心理学を専攻。人の心を動かす広告に関わる仕事がしたくて広告代理店に就職しました。しかし「やりがいのある仕事がしたい」「広告について学びたい」という私のやる気と希望とは裏腹に、配属先は広告と関係のない人事課。与えられた仕事はどこの会社でもほぼ変わりない地味な事務作業ばかりでした。
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それなりに楽しい日々を過ごしながらも、「こんなことをしたかったわけじゃないのに」という不満のようなものを、心のどこかにいつも抱いていました。 いつの日か、そんな単調な仕事の毎日にも慣れていきました。とはいえ知らずにストレスを溜めていたのか、帯状疱疹やアトピー性皮膚炎など、体に不調があらわれるようになっていました。
入社から3年後、大学時代に出会った現在の夫と結婚することになりました。夫の配属先は福島県。それまでは新幹線で月に1回行き来するのがやっとでした。
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ようやくずっと一緒にいられる。結婚できる!その嬉しさの方が、『私じゃなくてもできる仕事』をたった3年でやめてしまうことへの抵抗よりもはるかに大きくなっていました。いつの間にか『やりがいのある仕事をしたい』という気持ちはどこかへ消えてしまっていました。
生まれてからそれまでずっと東京で暮らしてきた私。結婚後の地方での暮らしはカルチャーショックを受けることでいっぱいでしたが、見知らぬ地での新生活は想像以上に新鮮でした。 誰から何を言われることもない気ままな毎日。時には旅行に出かけたりして、二人の時間を満喫しました。 その後3人の子供に恵まれました。仕事が忙しい夫は不在がちで、帰宅はいつも深夜。いわゆるワンオペをこなさなくてはなりませんでした。今では思い出すのも難しいぐらい、必死な毎日が始まりました。
私の気を引こうと難しい注文ばかりつける長女。夕食を準備する横で泣き続ける長男。首の座らない次女をラックのようなものに寝かせて、3人を同時にお風呂に入れる毎日には、リラックスできる時間はほとんどありませんでした。それまでの自由な時間は突然に奪われてしまいました。でも、子供達の寝顔を見た時、『ママ、あげる』と花を摘んできてくれた時、『ご飯おいしい!』と笑顔を見せてくれた時、そして家族で過ごす賑やかな時間は、幸せを感じる瞬間でした。
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夫は一緒にいられる時間が少ない分、彼なりに私のことを大切にしてくれていることも感じていました。 その一方で、大変そうにしながらも人から評価される仕事をし、自由に趣味のために出かけていったり、気軽に友達と会ったりする彼をうらやましく、時に妬ましく思うようになりました。
慌ただしくも幸せな日々の中で、そんな風に思うようになっていました。
子供たちが成長し、3人の子育てにも慣れてきた頃。ふと、
という寂しさと不安が頭をよぎるようになっていました。
子育てに翻弄される日々に、自分のことはつい後回し。たった3年の OL 経験以外に何のキャリアもなければ、資格も特技も、趣味さえもない、「普通すぎる自分」。 もし子供たちが東京の大学に進学したら、この地でただ子供たちの帰りを待つだけなのだろうか。このまま人生終わりたくない。そんなことを考えるようになりました。
そんなある日、東日本大震災が起きたのです。
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電気もガスも水道も止まり、道路はひび割れ、飛び込んできた原発事故のニュース。たった数分間で一変した日常に、ただ呆然とするしかありませんでした。 平凡すぎる日常でさえ、当たり前ではないことを痛感しました。ただ流されるだけでなく、1日1日を大切に生きなければ。そう思うようになりました。
震災から約1ヶ月後、私たち家族は少しずつ日常を取り戻していました。
福島で出会った友人たちもまた大切でしたし、そこでの暮らしが嫌だったわけではありません。でも、ずっとここで原発や放射能への不安を抱えたまま暮らすのだろうか、実家のある東京に帰りたい。そんな思いを抱くようになっていました。 そんなある日、夫の知り合いのつてで、東京の私の実家近くの物件を借りられるかも知れない、という話が舞い込んできました。
『子供たちと4人で、先に東京に引っ越したほうがいいよ』
私の気持ちを汲んでくれ、夫は一時的に家族別々に暮らす提案をしてくれました。実質的な母子避難です。震災から1年後のことでした。 2週間で引っ越しや転校の手続きをすませ、14年間の福島での生活に別れを告げました。
『寂しい…』
姉御肌でいつもクールなママ友が泣いて別れを惜しんでくれたことは、今でも忘れられません。平和だった日常も、危険な時も、不安な日々も、親子共々時間を共有してきました。 長女が生まれてからずっと、周りの人たちの温かさ、優しさにどれだけ助けられてきたかを改めて思い知りました。 新しい生活にもすっかり慣れ、夫の東京転勤が決まり家族揃って暮らすことができるようになったのは、それからさらに1年半後のことでした。
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一番下の子が小学生になり、ようやく子育てがひと段落してきた頃。少しずつ増えてきた自分の時間を使って何をしたらいいのだろう?と思うようになっていました。
また私の心に、「普通すぎる自分への劣等感」と、「何もない自分への不安」が襲ってきました。するべきことも、したいことも、何も思いつかなかったのです。 何も収入を生み出さずお金を使うことしかできない自分、時間を無駄遣いしている自分に、罪悪感すら感じていました。かといって、ただお金のためにパートをしたいとも思えませんでした。
何かを見つけたくて、書店をうろうろしたり、ネットで本を買うことが多くなりました。ファッション、料理、お片付け…自分の人生をもっとよくしてくれる何かを必死で探していたのかもしれません。そんなある日、夫と一緒に書店に行くと、1冊の本が目に飛び込んできました。
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その本には、専業主婦がパート以外にも収入を得る方法がある、という内容が書かれていました。そこから私は、主婦の個人起業に興味を持つようになったのです。 かと言って、なんのキャリアも資格も特技もない私。いきなり起業できるような種すら持っていません。唯一好きだったのがショッピングと、ファッション誌を読むこと。
「服を選んでいるときは目が輝いてるよね。」「雑誌を熟読してるね。」夫からはそんなことをよく言われていました。素敵な服が見つかった時は、心からワクワクしました。新しい服に袖を通すと、新しい自分に会えたような気がしました。 ファッション誌で素敵な服を着たモデルさんたちを眺めながら、そこに描かれたライフスタイルに自分を重ねていました。私もこんな風になりたい。変わりたい。もっとキラキラ輝きたい。そこには、地味で普通の主婦じゃない、憧れの女性像がありました。
でも、もともときれいだからだよね。スタイルがいいからだよね。センスがよくなきゃだめだよね。お金持ちじゃなきゃこんな風になれないよね。こんな私には無理かな。足が太くて短くて、顔が地味な私には無理。自分の収入がない私に許されることじゃない。遠い世界の話だ。
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写真に映る、子育てしながらもきれいでおしゃれな女性。
こんな風に、もっと輝きたい!
ただそう思うだけの自分とのギャップに、モヤモヤすることもありました。
ちょうどその頃、パーソナルカラー診断、骨格診断の存在を知りました。肌の色によって、似合う服の色が違う。 生まれつきのスタイルによって、似合う服が違う。 その理論を知った時は、ワクワクが止まりませんでした。
本を読んでは研究しました。 一度興味を持つと研究熱心な私。本でカラーや骨格のことを熟読し、自己診断もしましたが、「私はこれで本当にあっているのかなぁ。」と今一つ自信が持てずにいました。
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自分にとっての正解を知りたい。そう思っていたある日、実際に診断してもらうことができる場所があるということを偶然知ったのです。 急いでネットで検索し見つけたのが、のちに私が卒業するイメージコンサルタントスクールの校長のサロンでした。 診断してもらえるサロンへの申し込みと同時に、診断できる人を育てる、養成スクールの存在を知りました。 人を輝かせて、自分もきれいになれる。「イメージコンサルタント」という職業に強く惹かれた私は、その後すぐに養成スクールの説明会にも申し込んでいました。
間も無く訪れたスクールの説明会でお会いしたその女性はとても眩しく輝いていて、こんなふうに働いている人がいるんだ!と衝撃を受けました。
「専業主婦からスタートした人もいます。」そう聞いた時、私の心はすでに決まっていました。「人を輝かせて、喜んでもらえる。自分もきっと輝ける。これだったら仕事にしたい!」初めて夢や目標と言えるものが見つかり、自分で決断した瞬間でした。
思えばそれまでは、何となく親や周りの人の意見に影響されて物事を決めてきた私。スクールに通いたいということを夫に伝えるのには勇気がいりました。説明が下手で不安にさせたのか、いったんは夫と険悪な雰囲気になりました。 それでも、「騙されてるんじゃなければ、やりたいならそれは俺がどうこう言うことじゃないよ。今すぐにでも始めたら?」と背中を押してくれました。
長女が高校入試を迎える直前のことでした。 それまでずっと居心地のいい環境で生きてきました。 頑張っている姿を見せることがカッコ悪いとすら思っていました。 きっと、失敗して笑われるのが怖かったのだと思います。 ファッションに興味はあったもののメイクに関してはほぼ無知。 自己流で適当にしかしていなかった上に、自分の顔へのコンプレックスもありました。 そんな私にとってすでに起業している方や、美しいキャリア女性が生徒に多かった銀座のスクールに通うのは緊張の連続。気後れしてしまうことや、自信を無くすようなこともたくさんありました。
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最初に学んだメイクの基礎講義で一緒に受講されていた方は、
- すでに独立しているパーソナルカラーリストさん。
- アートメイクのプロでエステティシャン。
- 起業歴 10 年でモデルのような超美人。
- 百万単位の着物の販売に携わり、社内初、最年少で女性店長となったキャリア女性。
など、そうそうたる顔ぶれ。
メイクど素人のしがない主婦だった私にとって、スタート地点ですでに何歩遅れをとっているのかという状態でした。 部屋に一歩足を踏み入れた瞬間に、 『場違いなところに来てしまった』と不安と恥ずかしさでいっぱいになりました。 当然、実習では毎回落ちこぼれの劣等生気分。 『美香さん、不安そうな顔をしないで。お客様に伝わるから。』そう言われることもよくありました。『これでいいのかな。合っているのかな。』 そんな気持ちが、顔に思いきり表れていたのだと思います。 でも、あきらめる気持ちになったことは一度もありませんでした。
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毎回の実習でメイクモデルの女性が、私のメイクで変わったご自身の顔を見て、心から喜んでくれているのが伝わってきました。 メイクで美しくなることが、こんなにも女性の気持ちを明るくして、自信を持たせるんだ。そう実感すると同時に、多くの女性が、自分の顔にコンプレックスや嫌いなところを持っていること、もっと良くなりたいと願っていることを知りました。
私だけじゃなかったんだ。こんなにキレイな人までもが。
スクールに通い同じくイメージコンサルタントを目指す女性たちの中にも、元々は自分の顔が好きじゃなかったり、コンプレックスを持っていた人が多いということを後から知りました。
外見は心を変える。 コンプレックスは時に原動力になる。 外見が変わると、人生も変わる!
その思いは日に日に強くなって行きました。 それと比例するかのように、メイクの腕を先生から褒められることも多くなって来ました。 ただ、自分自身のメイクについてはまだ今一つ自信が持てていませんでした。
人の見た目にあまり気づかない息子から 「なんでそんなに眉毛濃いの」と言われたり 「ママ、無駄に顔が白いよ」と娘から突っ込まれたり。 知識や情報を多く持っていること、 人にメイクをしてあげられることと 自分自身のメイクをうまくできることは また別問題のように感じました。
今後の仕事の仕方の参考にしたい、と思ったこともあり 自分自身も恩師のイメージコンサルティングを受けてみることにしました。 そこで初めて、自分自身の魅力と出会うことができたのです。 初めて学んだ、私のためだけの、 私の魅力を生かしたオーダーメイドのメイク。 翌日から真似して行ったら、 「今日のメイク、すごくいいね!」 同じスクール仲間から褒められるようになりました。 もちろんしばらくは練習が必要でしたが、 その時を機に私のセルフイメージはガラッと変わりました。
「私はこんな風になれるんだ!」
行動や態度も少しずつ(いい方向に)変わっていったのだと思います。 何より、堂々とできるようになり、 行く先々で気後れせずに済むようになりました。2017年11月、無事スクールを卒業し、翌月すぐにサロンをオープンしました。
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私が通っていたスクールの運営するサロンのホームページに書かれていた言葉。 私もいつか、そんな風に言われるようになりたい。 そんな想いで、お客さま一人一人と丁寧に向き合って来ました。 カウンセリングを大切にして、 お客様のお悩みやなりたいイメージを真剣に聞き、 気持ちに寄り添ってメイクをするということを続けていきました。
![イメージコンサルタント,上品美人メイク,平田美香,プロフィール,メイク講師,愛される外見とは](https://mika-hirata.com/userPic/35.jpg)
するといつの間にかそのメイクのビフォーアフター写真を見て レッスンに来られる方が増えてきました。
『どこが変わったのかわからないけどすごくキレイになっている』
『良さが引き出されていて、自然でいい変化が素敵』
『メイク後の女性がみんな幸せそうに輝いている』
『私もあんなふうに変わりたい』
そう希望を抱いてレッスンを受けにきてくださるお客様ばかりになってきました。 苦手だったメイクが、いつの間にか私の得意なことになり、 派手じゃないのに、華やかに見える どこが変わったかわからないぐらい自然で上品に美しくなっているそのメイクの仕上がりから 「上品美人メイク」「美香マジック」 などと呼ばれるようになっていました。
![イメージコンサルタント,上品美人メイク,平田美香,プロフィール,メイク講師,愛される外見とは](https://mika-hirata.com/userPic/47.jpg)
でも、まだ人生変えることはできていないかな… 起業してしばらく経っても、そこに拘っている自分がいました。 レッスン当日は本当に喜んでくださって、 特にメイクの変化では
「わぁ、新しい自分に会えました!」
「これなら自信を持って街を歩けます!」
「本当に、来てよかったです!すごいです!」
と満面の笑みでサロンを後にしてくださるお客さまたち。 あれからどうしたかな、何かいい人生の変化があったかな… そう思いつつも、その後についてはわからないお客様も多くいらっしゃいました。 同時に、このメイク、自分でできるかわからない。練習が必要ですよね 、ちゃんと自分でできるようになりたい、というお客様からのご要望もあり、 何回か通っていただく継続講座、レッスンを不定期で開催するようになりました。
![イメージコンサルタント,上品美人メイク,平田美香,プロフィール,メイク講師,愛される外見とは](https://mika-hirata.com/userPic/44.jpg)
すると、次のレッスンまでに起きた変化をご報告いただくことができ、どんどん素敵になっていかれる姿を見させていただくことができるようになりました。 そんなある日、継続でレッスンを受けてくださったお客様からメッセージが届きました。
というご報告でした。 初めてレッスンに来られたときは、 婚活を本格的に頑張っているけれど自信が持てず、
なかなかいい出会いがない、という状態でした。 レッスンを受けられてメイクを変え、 新しいメイクで婚活用の写真を取り直したところ…
「急に素敵な方との出会いが増えて。 平田さんに選んでいただいた服で行ったパーティーで 今の主人と出会いました。」
やっぱり、外見を変えることで、 メイクやファッションを変えることで 人生は変えられるんだ! 鳥肌が立ちました。 その後メッセージにはこう続いていました。
その言葉で改めて気づきました。 外見が変わることで人生が変わる理由。
それは、 自信の伴う行動ができるようになるから。
![平田美香,上品美人メイクコンサルタント,イメージコンサルタント,よくある質問](https://mika-hirata.com/userPic/29.jpg)
メッセージをくださったこの方は実は、 レッスンを受けられるまでも行動はしていました。 「素敵な人と結婚する」という望む未来に向け、 聞いた私が驚くほど毎週のように活動されていたんです。 でもそこには、「自信」が伴っていなかった。「自分に自信が持てないんです…」 少し不安げな表情でそうおっしゃっていました。
それが、レッスンに通われるにつれ、表情も発する言葉も 少しずつ明るく、力強くなっていきました。 それまでの 「婚活にはこういう服を着るべき」 「メイクはこうするもの」 という、自分の限定的な知識や世間の常識的なことに縛られて 自分の魅力に注目し、気づくことができていなかった状態から 自分の魅力に気づき、魅力を引き出し ナチュラルに自分らしさを輝かせる「上品美人メイク」に変えて 自分自身に納得できるようになり
自信が持てるようになって行ったのです。
人生を変えるために必要なこと。
それは、セルフイメージを変えることです。
自分自身をどう見ているかで、 行動も態度も表情も、 出かける場所も発する言葉も 出会う人もかけられる言葉も変わっていくから。 だからこそ、メイクやファッションで セルフイメージをどんどん上げて行って欲しい。
自分なら大丈夫! 自分が大好き! そう思えたら、行動はどんどん軽やかになっていくから。 だからこその、自分らしさ、魅力をナチュラルに生かせる 「上品美人メイク」なのです。
![イメージコンサルタント,上品美人メイク,平田美香,プロフィール,メイク講師,愛される外見とは](https://mika-hirata.com/userPic/42.jpg)
「すごい行動力ですね」 私自身よくそう言われます。 どんどん行動して、普通の専業主婦から やりたいことをして生きる。幸せに働く人生を切り開いて来ました。 自宅サロンでのレッスンからスタートして 講座開催、オンラインレッスンのスタート、 大学でのキャリア&メイクセミナー登壇など次々とやりたいことを実現してきました。 でも私の行動は、苦労や努力が滲むような行動ではないんです。
![イメージコンサルタント,上品美人メイク,平田美香,プロフィール,メイク講師,愛される外見とは](https://mika-hirata.com/userPic/17.jpg)
勇気を振り絞った行動でもない。 えいっ!と軽やかに、やってみることができる。 小さな一歩を、軽やかに踏み出すことができるのです。 もっともっと、自分の未来を広げていきたいから。 こんな風に私を変えてくれたのはやっぱりメイクです。
変わりたい、人生変えたい、もっと理想の人生を掴みたい! でも、どうやって変えて行ったらいい? もしそう思ったら、思い出して欲しいんです。 自分では変えられることと、変えられないことがあることを。 外見磨きは、自分自身を手っ取り早く変えることができる手段だということを。